小林ノリキ

こばやし・のりき
(ベース / ヴォーカル)

 

1963年10月10日、札幌市出身。A型。札幌西高等学校卒。
10代からバンドマンとしてディスコやナイトクラブで演奏を始める。1986年フレッシュサウンズコンテストでグランプリを獲得しメジャーデビュー。ラジオパーソナリティ、ラジオ番組制作、英会話講師、カフェ経営などを経て現在ライブバー「BLOCO」を経営。
ソウル、ファンク、ロックを中心にBLOCOのイベントやアーティストのサポート、セッションで幅広く活躍中。
<サポート、セッションワーク>
椎名純平、桑名晴子、林田健司、EROTICAO、向山テツ、田中裕千、ファンキー末吉、木暮“shake”武彦、タケウチカズタケ、村上てつや、Hanah Spring、ZOOCO、Swing-O、中沢ノブヨシ、山木将平など。

Interview

NK:ノリキさんには、ジャンルにこだわりなく何でも弾けちゃうベーシストというイメージを持っています。まずは最初の音楽体験を聞かせてください。

ノリキ:自分から音楽を聴きはじめたのは小学校の高学年ですね。あの頃はラジオで電話リクエストというのがありまして。今週の第1位とかをリクエスト数で競うやつ。キャロルが好きで「ラストチャンス」ばかりリクエストしていましたね。

NK:洋楽は聴かなかった?

ノリキ:いえ。中学1年のときに父親が新しいステレオを買いまして。いわゆるシスコンという。好きなLPを買っていいと言われたので、ビートルズの「Let It Be」から始めて、オリビア・ニュートンジョンとか、サイモン&ガーファンクルとか買ってもらって聴いていました。

NK:では、楽器を始めたのは?

ノリキ:やはり中1のときに、フォークギターを弾きはじめましたね。かぐや姫が再結成した頃で、まずは「22歳の別れ」を弾けるようになろうと。伊勢正三さんのファンでしたから。で、中3くらいになると、エレキギターを持っている奴が出てきて、それからエレキですね。

NK:そうなると高校生になったら軽音楽部というパターンですか?

ノリキ:札幌の西高には「ロック&ブルース研究会」というのがありまして。ドラムセットとか完備なのですよ。デヴィッド・ボウイとかローリング・ストーンズ、和モノだとツイストとか、バンドを組んで何でも演ってましたね。でも、本格的にハマったのはブルースかな。先輩に「神経質な鶏」という豊平川の近く、旭町にあった伝説的なライヴ喫茶に連れて行ってもらいまして。そこに出ていたマディーシューズというブルースバンドにシビレました。メンバーのヒロアキさんのファンになって、追っかけみたいなことをやっていましたよ。

NK:では、ブルーズ一直線だったのですね。

ノリキ:そうでもなくて。その先輩が、五千円でブルースの中古LPをダンボールひと箱ぶん譲ってくれたのですよ。もちろん、アルバート・キングとかがメインだったけど、オーティス・レディングとかも混じっていて。それでソウルもイイなと(笑)

NK:プロになったきっかけを教えてください。

ノリキ:高校生のときから夜はススキノでウェーターなどのバイトをやっていました。だから、昼は大学、夜はバイトなんて計画を立てていたら、卒業まぢかの頃に「ベーシスト募集」という張り紙を見つけちゃったのですね。ベースなんて弾いたことがなかったけど、オレなら出来るだろうと(笑)。高校の同期に、後にEZO(FLATBACKER)というバンドでデビューすることになるTaroというベーシストがおりまして。彼の楽器を借りて、ひと月あまり必死に独習しましたね。そうしたらオーディションに受かっちゃって。ドラマーの阿部民雄さんが経営する「チャックベリー」というお店のハウスバンドに入ったのが、プロとしての第一歩でした。

NK:いくら高校時代にギターを弾いていたとはいえ、いきなりプロのベース弾きは厳しかったのじゃありませんか?

ノリキ:お店のある日は午後1時に行って練習。夜7時に開店して翌朝の3時、4時までベースを弾きまくりでした。もう指も、腕もボロボロ。半年くらいはホントに辛かった。人生でいちばんベースを練習した時期でしたね。

NK:お店以外の音楽活動もされたのですか?

ノリキ:ええ。22~23歳の頃にバンドをやっていましたよ。ヴォーカルは女の子でFruit Paradiseというバンドです。TBSラジオとコカコーラが主催する「フレッシュサウンズコンテスト」(フレコン)というのをやっていまして、それに出場して全国優勝しました。あのTM NETWORKはここで優勝してプロになったのです。オレらもビクター音産から「明日はお休みだから」という曲でデビュー。でも、鳴かず飛ばずで、結局オレは札幌に戻ってきちゃいました。

NK:では、チャックベリーに復帰されたのですか?

ノリキ:ええ。その他にもいろんなところでセッションして。二十代はバンドマン生活でしたね。でも、思うところがありまして、30歳を機に渡米しました。南カリフォルニアのベンチュラという人口10万くらいの町に住んで、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ニューヨーク、ニューオリンズなどへ出かけて行っては音楽を聴きまくりました。

NK:BLOCO(ブロコ)をはじめたキッカケを教えてください。

ノリキ:2011年に小樽で「cafe’ bloco」を開店しました。その後、円山に移転した店を妻がメインでやっていて。ならばオレは夜にススキノで小さなバーをやりたいなぁ~と。物件を探していたら、予定よりデカくなっちゃったのが今のBLOCOです(笑)。2016年のオープンです。

NK:では、また音楽の話に。楽器へのこだわりとかってありますか?

ノリキ:今、メインで弾いているのはレイクランド(LAKLAND)のエレキベースです。このクラフトメーカーの社主が営業で日本に来た折に通訳をやらせてもらいました。その時に、シカゴの会社へ遊びに来いと誘われて。で、行ってみたら、U2のアダム・クレイトンのベースが出荷待ちであるじゃないですか。「試し弾きしてみるかい」と言われて弾いてみたのですが、コイツが素晴らしい! 以来、オレの愛器はレイクランドで決まりですね。

NK:BLOCOの常連客やミュージシャンの間では、お店の音響の良さも評判ですね。

ノリキ:ウチは座席数が25席で、仮にスタンディングのお客さんを入れても40人で満杯です。なので基本的にPAを使うのはヴォーカルのみ。ギター、ベース、キーボードはそれぞれのアンプからの音出しです。大切なのはミュージシャンのバランス感覚ですから。このサイズの箱だから良い音で楽しんでもらえると思っています。

NK:では、最後にミュージシャンとしてのこだわりを教えてください。

ノリキ:プロとしてのスタートが、ハウスバンドのメンバーでしたので、自分の好きな音楽をやるためにお店を持つ、というところに戻ってきた感じですね。長年やって来れた結果、ミュージシャンとのつながりがどんどん広がっている事には感謝しています。ウチの店ではソウルのTighten Up、Soul Essentials80’s、ロックのSilver Grass Rock’n Roll Bandt、Rock FountainそれにD-Bopの松浦さんリーダーのThe Sapporo Funk Organizationがパーマネントに出演しています。それらを軸にして「BLOCOバンド」という名前で、サポートでも何でもやっちゃいます的な、これぞバンドマンというメンバーが集まったバンドもやっています。椎名純平さんや元エスカレーターズのZOOCOさんが来札したときも、このバンドでバックをやらせてもらいました。 素晴らしい音楽仲間といつも愉しみながらセッションしています。やっていて次に何が起こるかわからない”ライブ~生演奏”の面白さをぜひ楽しんでいただきたいですね。

(2018年11月24日 文責dora)

Discography

『BLOCO 10th Anniversary』

 

01. PCH

02. Around the Corner

03. All Night Long

04. Never gonna let you go

05. Ocean Front Vacation

06. New Beginning

07. Keeper of the Flame

08. Time After Time

 

Mica(vo)、小林ノリキ(b)、山下ヤスシ(key,p)、細川直来(ds)、齋藤森五(g)、齋藤郷(ts)、奥野義典(sax,fl)、豊田BOB健(b)

 

(2021年7月リリース)